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KEN SWIFT / 7 GEMS from NY

09 21 *2008 | INTERVIEW

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SPECIAL GUEST / KEN SWIFT
生きる伝説とも言われているBBOY KEN SWIFT にインタビュー!続き

KEN SWIFT / 7 GEMS from NY (以下 / K)
質問 ★(以下 ★

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★:自己紹介をお願いします。
K:名前はケン・スイフトだ。
ニューヨーク出身のダンサーで、7ジェムズをレペゼンしているよ。

☆:今はどの様な活動をされているのですか?
K:クラシックスタイルという俺が作ったダンスプログラムで、ロッキング(ROCKING)とブレイキン(BREAKING)の伝統と
基本を伝える活動やイベントでの審査員、その他、7 GEMS(セブン ジェムズ)でショーをやったりもしているよ。
7GEMSには、グラフィティライターとBBoyとロック(ROCK)ダンス部がある。
所属しているメンバーは、バーンワン、ミスタールース、スパイス、ナコ アバター、イーヴロック、ペドロ、ラバージョージ、ファントムメナスとワックワンそして、前は自分のスタジオでクラシックスタイルのレッスンや講師などもやっていたんだけど今年の3月にスタジオを閉めてしまったんだ。
だけど今は国内はもちろん世界的なツアーなんかもやっているよ。
すでにアメリカの西海岸、カナダ、ヨーロッパでは6ヶ国、そしてイギリス内でもツアーを回ったよ。
2年ほど前には「ザ・ロック」という映画を制作してリリースしたよ。これからもこの活動を続けていくつもりだよ。
そして、なにより俺がBBoyingをやる中で最もインスピレーションを受けたダンサー「フロスティーフリーズ」が今年に病を患って他界してしまって凄く残念気持ちだし、そういった人達の為にも残された俺達が伝統を守らないなくていけないと思っているよ。
できる限り実現していきたいと思っているよ。

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★:今回来されて日本のBBoy達についてどう思われましたか?
そして昨日のイベントはどうでしたか?

K:もう何度か来ているが日本に来るときはいつも同じ気持ちになるね。
皆がブレイキンに関してついに凄く学んでいるし日本のBBoyとBGirlたちはいつも流行の技を身につけようとしている。
新しいアイデアを探し出して新しい技や動きを考えているしそして皆上手くなっていっているね。だからすごくいい傾向だと思うよ。
イベントの雰囲気も凄くよかったしレベルも凄く高かった。
そして日本で始めて行われたUP ROCK(ROCK)のバトルには凄く意味があったと思うし日本のBBoyシーンの歴史を作った瞬間だったんじゃないかな。

★:イベントの中でのTop RockとRockingバトルはどう思いましたか?
K:俺にとってトップロックバトルも一緒にやったことが凄くよかったと思う。
それは、日本の皆が踊りの違いを理解できるいいチャンスだったしそれと同時にブレイキンのトップロックの基礎が解ってないことも判明したからだ。そしてロッキングの基本も解っていなかったかな。
ロッキングとトップロックは違うダンスだから、その基本の違いを理解できることが大事なんだ。
トップロック(TOP ROCK)とアップロック(UP ROCK)は ロック(ROCK)だ。わかるか?

★:トップロックやロックについて教えて下さい。
K:昔、BBoyとBGirl達のスタンディングダンス、立って踊る事をトップロックと言ってよく皆が言うエントリーの部分さ。自分を紹介する、レペゼンするBBoyingのスタンディングダンスだよ。
そしてロックは当時のギャングスター達から広まった戦いをイメージしたダンスで、その中の動きには銃の形を用いたバーンや腰を前後に動かすジャークその他、音に合わせて自由に表現するフリースタイルと言う動きがあるんだ。
主にトップロックはBBoyingの中で使われるスタンディングダンスでロックは相手と向かい合い戦いを表現した踊りなんだ。
その他、ヒップホップの中ではロックという言葉はいろんな風に使われているんだ。
例えば「今この場をロックしてやる、フロアでロックしてやる」とか言ったらブレイキンの意味を持ったりするし、MCだと「俺がマイクをロックしているぜ!」またMCがDJを「ヤツがターンテーブルをロックしているぜ!」とかも言えるし色々な使われ方があるよ。

★:日本のBBoy達がトップロックとロックを混ぜて踊る事がありますがどう思いますか?
K:それは時代の進化だと思うよ。日本人のダンサーは凄く才能を持っていると思うし俺が知っている日本人のダンサー達の殆どがブレイキンのほかにロッキング(LOCKING)やポッピング(POPPING)、ハウス、“ヒップホップ(ニュースクール)”やフリースタイルもできる。
だからバトルを見てると多くの人は前のダンス経験から何かを持ってきていたり他のダンスにインスピレーションを受けてるんだと思うよ。昨日、数は少ないけど中にもブレイキン一本でやってきたってわかる人もいたね。凄くクールだったよ。
だから今は時代の流れで起きた自然なスタイルだと思うんだ。
だからちゃんと色々なスタイルを理解してBBoyingやRockを学んで欲しい。
日本の皆はBBoyingやRockについてはまだまだ学ぶ事が多すぎるよ。

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★:アメリカのシーンと日本のシーンの違いは何だと思いますか?
K:イベントはかなり似ていると思うよ。
日本では皆が仲良くやってるように感じるね。凄くいい事でもあるんだけどアメリカではバトルを本当の戦いと認識しているヤツも多いからいつもヒートアップして大変だったりもする(笑
そして、イベントではその空間を楽しんで皆踊っているよ。

★:ダンスを始めたきっかけはなんだったのですか?
K:友達がちょっとした踊りをやっているのを見たんだ。
それは1回転のスピンとゲッダウンだったんだけどソウルトレインでやってた様な凄く簡単なものだった。
それを見た時すごく興味が湧き上がったんだ。
当時はまだ12歳でブレイキンも始めてなかったよ。それから見様見まねで練習したり教えてもらったりして最初に覚えたのはブレイキンのステップでシャッフルだったんだ。
そこからブレイキンをやり始めたんだ。
それは1978年で、その時にヤングシティボーイズっていうクルーを作ったんだ。クルーの仲間と一緒にDJもMCもグラフィティもやりながらブレイキンをやってたね。それがすべての始まりだったよ。
当時俺は近所のマイメンのディーノロックとかホワイトチック、タイフライなんかと一緒にヤングシティボーイズとして踊ってたんだ。
そして80年代のはじめにフロスティがヤングシティボーイズに入ることになったのさ。俺は彼をクルー仲間にしたかったんだ。
彼はその頃クレイジーレッグズに会ってロックステディークルー(ROCK STEADY CREW)に入ってくれって誘われていたんだ。
レッグズはフロスティにすぐ決めて欲しかったみたいだけど、フロスティはあんまりロックステディークルーの事を知らなくてちょっと疑ってたのさ。
それでフロスティは俺に相談してきて、「ケンがやるなら俺もやるよ」と言ってきて、そして、フロスティは逆に「君が入らないなら俺も入らない」と言って、最終的に決めるのが俺になって2人ともロックステディークルーのメンバーに入ったんだ。
当時フロスティは近所でもっとも有名なBBoyの1人でスーパースターだったよ。
ヒップホップのアイコンだったね。伝説の男だよ。ダンスも上手くて凄く優しい人だった。
俺は当時まだまだ初心者だったけど彼から色々学んだりそしていいバイブスを貰ったよ。それから少しずつ上手くなっていってんだ。
だから基本的に全てはロックステディークルーに入ったきっかけで始まったみたいな感じかな。
そして、俺の兄はその時ナンバー1のショアショットボーイズってクルーとつるんでいてそいつらはブレイキンをやっていていたんだけど更にロックもやってたんだ。
それで初めてプエルトリコ人がブレイキングとロックをやってるのを見たんだ。それまではブレイキンをやっているのは黒人しか見た事がなくてちょっと威圧感を感じてたんだけどプエルトリコ人がやっているのを見て一安心して練習にもっと励んでだよ。そして、何より音楽がきっかけだったと思う。
小さい頃はドラムをたたく事に憧れていたから中学校でボンゴをやり始めたんだ。授業で習ったわけではないけど自由にたたき始めてたね。それはブレイキンを始める前だったよ。
後、母親がレコードを沢山持っていて中でもジェームスブラウンのレコードが沢山あったんだ。だからブレイキンを始める前からジェームスブラウンはよく聴いていたよ。音楽を聴くのが大好きだったけど当時は踊ろうとは全く思わなかったんだ。
当時はスポーツばかりに興味を持ってたのさ。野球、バスケ、フットボール、ハンドボール…運動ならなんでもやったよ。スケボーもやったし、自転車でスタントもやってたし(笑。
それでその当時に初めてブレイキンを見てその時に流れてた音楽を聴いて「この音楽知ってる」と思って興奮して興味を持って踊りたくなったんだ。だから、小さい頃から聴いてきた音楽に体が自然と反応したんだと思う。
う~ん、だから俺的には音楽が一番のきっかけになるのかな。
後は、ブレイキンができて友達にかっこいい!!クールだ!言われたいっていう気持があったね(笑
若い時に友達にかっこいいって言われるのは凄く大きな事だと思う。

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★:その頃いくつぐらいのクルーがあったのですか?
K:クルーは多かったよ。俺の近所にはミッドナイトロッカーズとか名前は忘れたけどその他にも沢山あったよ。
ヤングシティボーイズはBBoyクルーよりストリートクルーだったね。
俺達は一緒にイベントに行ったり、他の地区に行って女の子をナンパしに行ったりして遊んでたよ(笑。
バトルもDJもすべてストリートでやったよ。俺が後に入るロックステディーが始まった時には他にもクルーは沢山あったよ。
イーストサイドやロワーイーストサイド、マンハッタン、ヘルズキッチン、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズにもいた。
とにかくクルーは多かったから正確には分からないな。

★:その頃に流行っていたヒップホップ的なアイテムを教えてください。
K:昔、洋服のウエストのゴムをとって紐の代りにしてプロケッツに入れていたよ。
靴紐じゃなくてゴムだったんだ。当時には今のファットレースなんかは無かったからね。
それを始めたのは誰か覚えてないけど、皆がやっていてニューヨーク中がやろうとしてたよ。
ストリートファッションのシーンにクリエイティブなひとは沢山いたね。その後にそのゴムのファッションをヒントに作られたのがファットレースだと思う。
当時は凄く人気だったよ。後はナイロンのTシャツも人気だったし2色のTシャツを買って合わせたりしてたね。
例えば黒と白とか、紺とスカイブルーとかね。そしてLEEのデニムも凄く人気だった。
ベルボトムのジーパンにグラフィティを描いてアクリルで足のところ名前を入れてたりしてたよ。
他にはカンフースリッパーを履いてたヤツもいたね。
当時カンフー映画はもの凄く人気だったからブルースリーなんかのカンフー映画はヒップホップに大きな影響を与えたんだ。
毎週末テレビで放送されたし、映画館では3ドルで3つも観れて皆がマネをしていたよ。後、最初に人気があった帽子は漁師さんのような帽子だった。
ハットやハンチングなどはカンゴールがマストさ。しかし当時は今みたいにカンガルーがなかったんだ。
当時のオリジナルにはロゴが無かったんだよ。
その他、DP Jeansっていう大工さんのズボンも人気だったしポリエステルのズボンやタートルネック、スエットなんかも人気だったね。
キックスはプロケッズやプーマクライドそして、アディダスのスーパースターが出て最高だったね。
そしてブリティシュウオーカーズとかプレイボーイもあったよ。
あと、ジーパンに消えないように線を縫ってたりしてたし冬には革ジャンがマストだったね。

★:BBoy以外に影響を受けたことはありますか?
K:ブレイキンはヒップホップの中で最後に見たものだったよ。
最初にやったのはグラフィティで、その次はDJ、そしてMCで、最後はブレイキンだった。だから、おれはグラフィティライターとかMC,DJにすごく影響されているよ。
一番最初に聴いたカセットはスタテンアイランドのクルーのやつだった。
俺の住んでいたビルにいたピートってやつはそれをブロンクスのイベントなんかでよく流していて俺達がそれを聴いた時に凄くカッコいいと思ったんだ。
その時にそのマネをしてMCとかDJになろうとしてたよ。
そうやって俺は身近にいた人達にかなり影響されたね。

★:そのHIP HOPの4大要素を用いたHIP HOPムービー「ワイルドスタイル」などに出演されたのはどういう敬意だったのですか?
K:その時すでにロックステディーで小さなショーをやってたりしてたんだ。
最初にやったのはヘンリシャルファントのスタジオだったんだけどワイルドスタイルの監督のチャーリーエーハーンがヘンリの知り合いだったからそこから出演が決まったんだ。
その時俺はまだ若かったから、30年後にこんな質問されると思わなかったよ。忘れてる事も凄く多いよ。

★:HIPHOPとは自分にとってどのようなものですか?
K:ヒップホップは俺にとってライフであり大切な一部さ。
若い時からやってきた事だから俺にとって凄く大切なんだ。若い時には育児とか仕事みたいな責任はないから人生で一番楽しい時期だと思う。
だからヒップホップは一つの楽しみ方だった。
振り返ってみるとヒップホップが俺の仕事と人生そのものになったから、俺はブレイクライフって単語を使うのさ。
もうブレイキンに相応しくない歳かもしれないけど、俺は楽しんでいるし社会に「もういい歳だからブレイキンなんかやめなさい」とも言わせないよ。
俺は自分の生き方を自分で決める。俺は純粋にブレイキンをやりたいし歳をとって責任は増えるけど俺はまだブレイキンが好きなんだ。
そして、いい思い出も沢山あるからね。

★:HIPHOPに関して何を大事にしていますか?
K:人間は皆クリエイティブでいたいと思うんだ。
ヒップホップでは自分のクリエイティビティーを試す機会が沢山あると思うよ。
自分がどれほどオリジナルか、どれほど早いか、どれほどカラフルなのか、どれほどうるさいか、どれほど知られてるか試す機会が沢山ある。
君はなんで有名なのか?って聞かれたら俺は「ダンスが上手いからだよ!」って答えるよ。
そして、ヒップホップは楽しいからこそ周りの人と一緒に楽しむことが大事だよ。
今は世界に広まって国際的なランゲージになったから凄く広がって素晴らしい事だと思うよ。
ヒップホップを通じて世界中の奴らとコミュニケーションが取れる事が凄く大事だしこれこそがヒップホップのユニティーだよ。

★:HIO PHOPはなぜHIP HOPとよばれだしたのですか?
K:「This is Hip Hop!!」と最初に名付けたのはラブバグスタースキーってヤツで、このカルチャーを世に広めていったのはアフリカバンバーターの率いるズールーネーション(ZULU NATION)だよ。
何年かはっきり言えないけど、70年代の前半に先輩達に聞いたのが最初だったよ。
60年代には自分がヒップじゃなかったら失格だった。
ヒップというのは、色々な解釈があるけど「意識をもった」とか「その様子」、「時に楽しんで様」とかという様々な意味があるんだ。
そしてホップは「ダンス」なんだ。
両方ともスラングでMCたちも使ってたから当時のスタースキーが名付けてバンバーター達やズールーネーションが広めていったんだと思うよ。
でも俺はバンバーターじゃないからわからない(笑
でもヒップホップという名前に納得ができるよ。
この文化はいくつかの名前で呼ばれる可能性があったからね。

★:最後に日本のBBoys、BGirlsへメッセージをお願いします。
K:とにかく自分でいろ。
誰かのマネをせず自分が感じられないムーブをしない事だ。わかるか?自分が感じてるように動くことだ。
音をよく聴いてその音楽から感じさせることを表現して、時には悲しさを感じたらそれを表現したり、楽しく感じたらそういう風に踊れ。
自分でいることがヒップホップの原点なんだ。
そしてもう一つは、ブレイキンの概念を理解しろ。
進化して色々混ぜて踊ってもいいけど、まずはブレイキンには基本があることを理解するんだ。わかるか?
精神的にも肉体的にも基本を分かる事が大事だと思うし色んなルーツがある。
古い技や新しい技を覚えるだけじゃダメなんだ。その概念を理解することが大事なのさ。
精神的な面は音楽からきて肉体は後からだ。技はカッコいいけどただの動きだけなんだ。それに音楽のリズムがのって動くとダンスになるんだ。
だから、BBoyingでは技は音にのって自分の精神とかキャラとか感じてる事を加えないとカッコよく見えないんだ。
ただのロボットに見える。
自分のスタイルを出すには音楽を聴く事がが鍵だ。
だから、俺のメッセージは「自分でいろ!」
そしてヒップホップのルーツを知って理解し楽しんで、そして「ヒップホップ」をサポートするんだ。


Peace / KEN SWIFT

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